昨年7月上旬、京都の代表的な繁華街として知られる先斗町(ぽんとちょう)で火災が発生した。市中心部を流れる鴨川沿いにある代表的な花街の一つが、火につつまれた。
4~5時間で鎮火したそうだが、そのニュース映像を見ていた中で、懐かしい映像が飛び込んできた。それは、細い先斗町に軒を連ねるあるバーに下がっている店の看板とそのマスターの映像である。
戦前のスウェーデン生まれのハリウッド女優の名を漢字に宛がった瀟洒なその店で、学生時代アルバイトに没頭し多くの時を過ごした私は、そこで当時の社会の縮図を垣間見た。時はバブル経済真っ只中。連日連夜、舞妓や芸子を侍らせてやってくるあやしげな男、高級バーボンをロングのメンソールタバコをくゆらしながらロックでいくコピーライター(※今も使うのかな?)、80年代にそこそこ活躍した芸能人等、バーのカウンター越しに様々なジャンル?の方々と接しさせて頂いた。それら多くの人が派手な容姿や言動を纏いその時代を謳歌していたように見受けられた反面、どこか悲哀を抱え込んでいたのではないかとも思ったものだ。
そんな日々の中、大学の講義で親鸞聖人の言語録が綴られていると言われている「口伝鈔(くでんしょう)」の中にある下記の言葉にひきつけられた。
「酒はこれ忘憂(ぼうゆう)の名あり これを勧めて、笑うほどになぐさめて去るべし」
意訳すると、「酒には昔から憂いを忘れるものという名がある。(悲しみに打ちひしがれてどうしようもならないときには)その酒をすすめて、相手に少しでも笑顔が生まれたならば(静かに)立ち去れば良い。」と言えるだろう。悲しみのどん底にある時に、どんな慰めの言葉も、素晴らしい教義であっても、到底その当事者の心に響いてくるものではない。そんな時は、ただ傍にいて杯を酌み交わすのが肝要であり、そこから微笑みが生まれそして人はまた立ち上がって歩いていける。
人間味溢れる親鸞聖人のお人柄が垣間見れるこのお言葉は、真宗云々というより、まさに酒席においての絶妙な相手との距離の保ち方、関係を私達にお諭し下さっている様だ。
今でも酒席において頭をよぎるこのお言葉。こんなスタンスで門信徒と向かい合えればなと思うが、言うは安く行うは難しである。無機質な言葉が口をついて出てしまう私である。
合 掌
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