回想 ~先斗町の火事にて学生時代を偲ぶ~
昨年7月上旬、京都の代表的な繁華街として知られる先斗町(ぽんとちょう)で火災が発生した。市中心部を流れる鴨川沿いにある代表的な花街の一つが、火につつまれた。
4~5時間で鎮火したそうだが、そのニュース映像を見ていた中で、懐かしい映像が飛び込んできた。それは、細い先斗町に軒を連ねるあるバーに下がっている店の看板とそのマスターの映像である。
戦前のスウェーデン生まれのハリウッド女優の名を漢字に宛がった瀟洒なその店で、学生時代アルバイトに没頭し多くの時を過ごした私は、そこで当時の社会の縮図を垣間見た。時はバブル経済真っ只中。連日連夜、舞妓や芸子を侍らせてやってくるあやしげな男、高級バーボンをロングのメンソールタバコをくゆらしながらロックでいくコピーライター(※今も使うのかな?)、80年代にそこそこ活躍した芸能人等、バーのカウンター越しに様々なジャンル?の方々と接しさせて頂いた。それら多くの人が派手な容姿や言動を纏いその時代を謳歌していたように見受けられた反面、どこか悲哀を抱え込んでいたのではないかとも思ったものだ。
そんな日々の中、大学の講義で親鸞聖人の言語録が綴られていると言われている「口伝鈔(くでんしょう)」の中にある下記の言葉にひきつけられた。
「酒はこれ忘憂(ぼうゆう)の名あり これを勧めて、笑うほどになぐさめて去るべし」
意訳すると、「酒には昔から憂いを忘れるものという名がある。(悲しみに打ちひしがれてどうしようもならないときには)その酒をすすめて、相手に少しでも笑顔が生まれたならば(静かに)立ち去れば良い。」と言えるだろう。悲しみのどん底にある時に、どんな慰めの言葉も、素晴らしい教義であっても、到底その当事者の心に響いてくるものではない。そんな時は、ただ傍にいて杯を酌み交わすのが肝要であり、そこから微笑みが生まれそして人はまた立ち上がって歩いていける。
人間味溢れる親鸞聖人のお人柄が垣間見れるこのお言葉は、真宗云々というより、まさに酒席においての絶妙な相手との距離の保ち方、関係を私達にお諭し下さっている様だ。
今でも酒席において頭をよぎるこのお言葉。こんなスタンスで門信徒と向かい合えればなと思うが、言うは安く行うは難しである。無機質な言葉が口をついて出てしまう私である。
合 掌
~もし、あなたが亡くなった場合、穢れたものとして扱われたいですか?
先日、何気なくTVをつけていたら、僧侶が主役のドラマが放映されていました。その中で、ある場面にさしかかったところ、あまりにも愕然とし、看過できないシーンに出くわしたので、思わず投稿させて頂きました。
そのシーンとは、さながら「かけおち」とも言える振る舞いをした住職継承候補の僧侶がお寺に戻ってきた際に、そのお寺を現在切り盛りしている祖母?と衆徒の僧侶らから「塩」を撒かれて門前払いをされたというものです。
このシーンを見て、仏教にそれほどご縁(知識)がない方はどう思われるでしょう?
発想が飛躍しすぎではと思われるかもしれませんが、「へ~仏教でも清め塩を用いるんだ」と、中には解釈される方がいらっしゃるのでは。
少なくとも釈尊がお説き下さった教えには、塩をまいたり、盛ったりするような行為、教えはありません。「死」を穢れとしてとらえる神道、や教義が体系づけられてないなんでもありの宗教は別として…。
「葬儀や通夜での清め塩はだめなんですか?」とたずねられた場合即座に私は、「近しい人の死は穢れているのですか? もしあなたが亡くなった場合(娑婆との縁尽きた際)に穢れたものとして扱われたいですか? 尊い存在として敬われたいのではないですか?」とたずねます。
バラエティ-と言えどもメディアは、思想・宗教などの「コア」となるべき事柄には、その方面にある程度精通している方などを監修につけるなどして、セリフや所作などをチェックし、ある程度責任を持つべきなのではないでしょうか?
法句経と倍返し
『やられたらやり返す。倍返しだ!』
東京オリンピック招致での「滝クリ」さんのスピーチでブレイクした『お・も・て・な・し』と並んで、下半期のお茶の間を席巻したドラマ『半沢直樹』の主人公の「胆(キモ)」とも言えるセリフです。昨今、子ども~大人まで日常生活の中のあらゆるシーンで、使われているようですが、どうも違和感を覚えずにはおれません。『たかがドラマだろ。いるんだよな、「子どもに悪影響を及ぼす」とか言う奴が…』という声も聞こえてきそうですが、一言、僧侶のはしくれとして言わせて下さい。
『法句経(ほっくきょう、ダンマパタ)』という原始仏(教)典のなかに「この世の怨みは怨みをもって 静まることはありえない 怨みは捨ててこそ静まる これは永遠の法である」(※片山一良『ダンマパタをよむ』より)と説かれています。
この釈尊のお言葉を、第二次大戦後のサンフランシスコ講和会議において、戦勝各国が競って敗戦国・日本に対しての補償請求を行う中で、セイロン(現在のスリランカ)の外相ジャヤワルダナ氏(後にスリランカの大統領となります)が演説のさなか引用し、日本への賠償権を放棄したそうです。
ここ数年来、中国・韓国との間で領海や過去の歴史認識等をめぐって険悪なムードが続いています。それに対して、ラディカルな団体や思想家、政治家等がヘイトスピーチ等で応酬し、首脳会談の目処すら立っていません。
そんな時いつも思うのは、過去の痛ましい戦争で亡くなった日本を含めた多くの国の方々のことです。日本ではすぐに靖国問題にリンクしてくるかもしれませんが、亡くなられた方が英霊であろうと、仏(ぶつ)であろうと、今彼らが、本当に望んでいることは何でしょうか?「私たちの仇を取って下さい。怨みを晴らして下さい。」でしょうか。否、「あなたたちを私たちが目の当たりにした悲劇に絶対に合わせたくない。」この一言に尽きるのではないでしょうか。そのためには、明るい未来を構築していくためには、「私が、私が…」の思いを少しセーブしては如何でしょうか。
2500年の時を超えて、尚語り継がれる釈尊のお説法。唯々この宝物を、人種や国境を超えてバトンタッチしていかねばならない、それが私たちの使命であると、切に思うばかりであります。
称 名
~その年1年の世相をあらわす一文字からの想起(まだ年半ば過ぎですが)~
今年ももうすでに半年が経過しました。ここまでくると、年末モードへと一気に加速していくようで、年々特に何かしら急かされる思いに駆られます。
さて、毎年年末になると、その年1年の世相をあらわす1文字(漢字)が話題となります。一昨年は、≪絆≫で、昨年はオリンピックでのメダルラッシュやIPS細胞による山中教授のノーベル賞受賞等で≪金≫であったのはまだ皆さんの記憶に新しいことでしょう。ところで、数年前のその年1年の世相をあらわす1文字として≪偽≫という文字が挙げられていたのを覚えているでしょうか?そのように今日の社会は、様々なところで≪偽≫という文字が跳梁跋扈している時代であるとも言え、本当に真実なるものには中々出遇うことは難しいものです。
そんなことを思う中で想起されるのは、親鸞聖人が「和国の教主(日本の国のお釈迦様)」と尊崇された聖徳太子の≪世間虚仮(せけんこけ) 唯仏是真(ゆいぶつぜしん)≫という言葉や(※『天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)』という刺繍に残されている)、『歎異抄』の後序の「火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします」という親鸞聖人のお言葉でありますが、 しかし、そのような尊い真実なるお言葉・み教えがあったとしても、それに出会う「御縁」がなければ、決して私たち一人ひとりのむねに響いてくることはありません。
『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』という経典の中に「盲亀の浮木(もうきのふぼく)」という例えが説かれています。この例えを私は、「深い海の底に盲目の亀何百年と生きている。その亀は百年に一度だけ海上に頭を現すという。その時、たまたま浮いて流れてきた木片の僅かに空いた穴からその亀がすっぽりと頭を現す。そのような確立は殆どないと言って良いでしょう。しかし、それよりも稀有であり、有ることが難(がた)しいのが、私たちが人間として尊い「いのち」を生かさせて頂いていることであり、更にはその中でも仏教(もっと言えばお念仏のみ教え)というかけがえのないみ教えに出遇わせて頂いていたことですよ。そのようなご縁を結んで下さったのは、今ではお浄土で尊い仏(ぶつ)となられている故人の方々ですよ。そのことを常日頃より感謝の思いを持ち続けなさいよ。」とお諭し下さっていると味わっています。
この娑婆世界での故人との別れは、確かにつらく悲しいものだったことでしょうが、それと同時に、私たちを「真実なる教え」に導いて下さった、尊いご縁を結んで下さったこともまた確かなことです。亡き方々に特に想いを馳せるこの時期だからこそ、あらためて自今以後も、感謝の思いを持ち続つけていく機縁としたいものです。 合 掌
初七日での一言法話~和顔愛語(わげんあいご) 先意承問(せんいじょうもん)~
昨今において、大抵の場合、葬儀の後の火葬場から戻っての還骨勤行の際に、初七日の勤行を修するケースが多いですが、その際の勤行の後におはなしさせて頂くのが、下記のご法話です。
≪たった今、還骨並びに初七日の勤行を終えられて皆様方におかれましては、あらためて 故人の思い出を回想されていることだと思います。楽しかった思い出もあったでしょうが、中には辛く悲しい思い出もあったでしょう。しかし、そんな辛く悲しい思い出の中においても、故人の優しい笑顔や思いやりに満ちた言葉によって励まされたりして今日まで元気に過ごしてくることができたのではないでしょうか。
浄土真宗においても最も大切な『仏説無量寿経』というお経の中に「和顔愛語(わげんあいご) 先意承問(せんいじょうもん)」というお言葉が出てまいります。このお言葉の意味は、「和やかな優しい笑顔と思いやりに満ちた言葉をかけ、先に相手の心を汲み取って受け入れてくれる」ということです。皆様方も辛い悲しい思い出の中においても、故人の優しい笑顔と思いやりに満ちた言葉、先に私たちの心を汲み取って受け入れて下さる心持ちに励まされたりして、今日まで過ごしてくることができたのではないでしょうか。
故人はお浄土において尊い仏(ぶつ)となられたこれからも阿弥陀様とともに、私たちが悲しい時苦しい時、うれしい時楽しい時、いつ如何なる時においても、「和顔愛語 先意承問」の心持ちで私たちのことを案じて下さっている尊い存在です。残された私たちはこの思いを決して忘れずにこの思いを後々にまで伝えていくことが、故人のお徳を偲んでいくことだとも言えるのではないでしょうか。≫
いかがでしょうか。よく聞かれる言葉かもしれませんが、初七日のような席においてあらためて聞くことで、また違ったおあじわいもでてくるのではないでしょうか。 合 掌
浄土真宗におけるお盆のあじわい
浄土真宗における盂蘭盆会(お盆)のおあじわい
~あなたの大切な方は期間限定で戻ってくるさびしい存在で良いですか?~
お盆についてのおあじわいは、信仰(宗派)や地域性によって様々です。世間一般でよく聞くのは、「8月の13日になると、地獄のカマの蓋が開き、霊魂が帰ってきて、15又は16日にまた戻ってゆく」とか、「迎え火(迎え提灯)を準備していないと迷って故人が帰ってこれなくなる」 などでしょう。しかし、仏教(特に浄土系の諸宗)において、本当にこのようなお盆のあじわい方でよいのでしょうか。 私たちの大切な亡き方々は、果たして地獄に落ちているのでしょうか? 短い期間だけ帰ってくるような(しかも迷いながら)、たよりなく、さびしい存在なのでしょうか?
お盆という仏事は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」と言う様に、「仏説盂蘭盆経(※中国でつくられた偽経という説もあるが)」というお経の説話がその由来となっていると言われます。「盂蘭盆経」によると、釈尊の仏弟子(十大弟子)の一人で「神通(力)第一」の目蓮尊者(以下目蓮)が、あるとき、亡くなった母親がどの世界にいるのか、その神通力を使い探していたところ、仏教でいう迷いの世界(六道)の一つである「餓鬼道」に落ちて苦しんでいるのを見つけたそうです。餓鬼道という世界は、空腹を満たすために食べ物を口元に運んでもその直前で全て炎となって消えてしまい、飢餓感・空腹感が満たされずに苦しみ続ける世界です。さながら逆さまに吊りさげられる(倒懸[とうけん])に苦しみだと言います。(※インドの梵語(サンスクリット語)では倒懸をウランバーナと言い、盂蘭盆とはこの梵語を音写したもの) 何故、目蓮の母が餓鬼道に落ちたかというと、生前わが子(目蓮)を溺愛し過ぎたために、他の人やものをないがしろにしたためにこの世界に落ちたと言われています。目蓮は大変驚き、何とか母を救いだそうとし何度も神通力により食物を差し出しますが、当然の事ながら口もとまできた時に全て炎となって燃え尽き、救うどころか逆に苦しみが深まるばかりであったと言います。
そこで目連は、釈尊に救いを請いますと、「7月15日(旧暦)に雨季の安居(あんご、夏(げ)安居ともいう、修行、勉強会)を終えた僧侶らに盛大な法要を営んでもらいその後、僧侶らに、敬い・感謝の心を持ち(讃嘆供養)、施しを与えなさい。さすれば母は救われるであろう」と説かれたと言います。この通りに目蓮が実践したところ、餓鬼道で苦しむ母が救われたと言います。
この経典の真宗的味わい方ですが、まず一つは、人は仏法によってのみ、本当の意味で救われていくのだと言うことです。母を苦しみから救うために幾度となく食物を運んだ目連でありましたが苦しみは深まるばかりでありました。しかし、安居を終えた僧侶たちに法会を営んでもらい、讃嘆供養し施しを与えたことによりはじめて救われたということは、言い換えれば、仏教の三宝(仏・法・僧)への敬いの心を常に持ちなさい、帰依しなさいということです。
また、目蓮のような方の母であっても餓鬼道という世界に落ちていくということは、私たち全ての人間が餓鬼道に落ちていてもおかしくないような日々を実のところ送っているのだということです。この目蓮の母は、他人のことではなく、煩悩にまみれた私たちの姿でもあります。私たちの行いは、良かれと思ってやっていることであっても、知らないところで相手を傷つけたり、さらには、他の尊いいのちを大切にしなければいけないのだと思っていても、他のいのちを頂いて否、奪ってしか生きていけないのが私たちであります。まさに「逆さま」のことを平然と行っているのが私たちです。
そのことを日常私たちは忘れがちでありますからこそ、盂蘭盆経にちなんでつとめられるようになったと言われるこのお盆の時期に、自らの日々の生き様をかえりみ慚愧(ざんぎ)し、浄土に往生した亡き人をご縁として、仏法にあずからせて頂いたことをあらためて喜び、感謝させて頂こうというとらえ方が浄土真宗におけるお盆のあじわい方なのではないでしょうか。だからこそ真宗ではお盆のことを「歓喜会(かんぎえ)」とも言います。
亡き人を偲びつつ、それをご縁としてまことのみ教え(法)に出遇えたならば、大切な故人、が餓鬼道や地獄に落ちているわけでもなく、魂や霊となって期間限定で(盆や彼岸のみとか)戻ってくる頼りなく、さびしい存在でもないということが自ずからわかることでありましょう。
浄土真宗におけるまことの法とは、無論「南無阿弥陀仏」のお念仏です。このお念仏に出遇わせていただくことにより私たちは、たとえ娑婆との縁尽きようとも、間違いなくおさとりの世界であるお浄土に生まれ、常に残された人々をあたたかくみまもり、導いていくような尊い存在とならせて頂くことができるのです。 合 掌
回想~750回大遠忌法要~
先日本山より、昨年の大遠忌に参拝され帰敬式を受式された方々の一覧表が送付されてきた。ご門主さまより授与されたお同行各々の法名を拝見しながら、どなたもよいご縁にあずかったものだなと思いつつ、昨年のご勝縁が回想された。
上山して二日目、法要当日であった。いよいよ法要が厳修される直前の記念布教の中でそのご講師が、大遠忌を迎えるにあたっての思いを句にしておとりつぎされた。
「遠忌まで いのち間に合い 感無量」と。
大病を患っていたとの事であったそうだが、正に沸き起こる「法悦」の思いの中で、この大遠忌を迎えられたのだろう。この度の大遠忌のご勝縁を、「愛山護法」「宗祖讃仰」に加え、大震災以降、誰もがそうであったのだろうが、私自身も被災者(地)に対して、この法要をどう意味づけしていかねばならないのかという思いに駆り立てられていた。「悲しみに寄り添う」というが、特に「小慈小悲もない」この私には、どんな言葉も、何をもってしても、被災地の悲痛な思いに及ぶことなどない。そんな思いが交錯する中で、聴聞させていただいたこの一句、このご縁を通して「特別な意味づけなど必要なかった。唯、このご勝縁をいただけたことに感謝し、その沸き起こる法悦を皆と共有し語り継いでいくことが、今の私にできることなのだ」と、ご了解させていただいた次第であった。
合 掌
~人生における正しい地図とは~
≪今生でも迷っているのに、亡くなってからも迷いますか?≫
「生死(しょうじ)の苦(く)海(かい)ほとりなし 久しく沈めるわれらをば
弥陀(みだ)弘(ぐ)誓(ぜい)の船のみぞ 乗せて必ず渡しける」
『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』
親鸞聖人
数年前、東京にて私のお気に入りの画家ポール・ゴーギャン展が開かれていました。
「生と死」「文明と野蛮」「聖と俗」等をモチーフとし、人間の根源を探求し続けた彼の代表作に《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》という絵画があります。若かりし頃(今でもそのつもりですが)、この原題を最初に聞いたとき、「人種・宗教等を問わず、人間の根源的な命題だな」と思ったのを今でも思い出します。
さて、時々耳にしますが、自分にとって都合の悪い事がたて続けに起こると「亡き人(先祖等)が迷い、私に災いやバチを与えているのだ」と言う方がいらっしゃいます。しかしよくよく考えますと、迷っているのはその方自身が迷っているのに他ならず、自分にとって都合の悪い事を亡くなった方の責任に転嫁しているのではないでしょうか。亡くなられた方がどのような尊い存在になられたのか、どのような場所に行かれたのかも知らずに、そして、無常なる人生を生きているその方自身が突然、この娑婆世界との縁尽きた時にどうなるのかもわからずに生きているという事、これほど悲しい事はないのではないでしょうか。
『歎異抄第9条』に「久遠劫よりいままで流転せる苦悩の旧里(きゅうり)はすてがたく…」とあるように、私達の「いのち」ははるか過去世から存在はしていましたが、流転の境涯を送っていたに他なりません。今ここで、ご縁にあずかり仏法を聴聞せねば、過去世でも今生でも迷い続け、さらにこのままでは未来永劫流転し続けなければなりません。
この身終わった後どうなるのか、この「後生の一大事」を解決せずして、この世に生を受けた意味などないと私は思います。
作家の司馬遼太郎さんがかつて、「仏教の教えは地図のようなものである」とおっしゃっていたと言います。
仏教(正しい地図)とは、①今いる私の位置(状況、立場)と、②私がどこ(目的地、行く先)に向かって(生きて)行かねばならないということ、さらには③その目的地へ向かうための正しいルート(道のり)を教えてくれるものです。
それは逆に言い換えれば、仏教(正しい地図)を持たずに、人生を生きて行くということは、人生を彷徨いながら生きていくに等しいといえるのではないでしょうか。
真の正しい地図(仏教)とは、自分の状況、そして行き先、そこへ至る道を的確に教えて下さいます。
私達にとっての真の地図(仏教)とは、親鸞聖人が私達におさとし下さった「私を信じ、安心してまかせよ」という阿弥陀様のお呼び声である、「南無阿弥陀仏」のお念仏以外にはありません。親鸞聖人は、悩み苦しみ、自分というものがわからなくなっている私達のためにこそ、阿弥陀様のご本願があるのだということをおさとし下さいました。そして、そのご本願を信じ身をゆだね、お念仏申させて頂くことが、お浄土への確かな道であり、さらに浄土で仏(ぶつ)となった後も、そこにとどまるのではなく、再び迷いの娑婆世界に還って私達を教え導いて下さるものだとも説かれました。
親鸞聖人の『現世利益和讃』に「「南無阿弥陀仏を唱ふれば 十方無量の諸仏は 百重千重囲繞(いにょう)して 喜びまもりたもうなり」(信心をいただき南無阿弥陀仏をとなえる身となれば、(阿弥陀様をはじめ)十方世界におられる数えきれない諸仏が百重にも千重にもとりまいて、お念仏する身となったことをよろこび、おまもり下さいます)とあるように、お念仏は、今生きている私たちに響いている教えであり、決して死者葬送や祖霊崇拝のための教えではありません。
仏教(仏事)意義とは、亡き方々をご縁として、どこまでも阿弥陀様の御心(智慧と慈悲)を聴聞し、仏徳讃嘆(ぶっとくさんだん)させて頂くことです。そうすることで何れは、自らの生きる意味と方向性が定まっていくこととなるでしょう。
合 掌
~人生におけるすべての縁をいただく~
『肥料』 あいだみつを
あのときの あの苦しみも あのときの あの悲しみも
みんな肥料になったんだなあ 自分が自分になるための
お釈迦様が「人生は苦である」とおさとし下さったように、楽しみより、むしろ苦しみや悲しみが常であるのが人生であります。
しかしそれもよくよく考えると、まことの自分、まことのみ教えに出遇うための尊いご縁だからこそと受け取ることもできるのではないでしょうか。
親鸞聖人は比叡山での長年の求道のすえ、見えてきたのは何の教えによっても救われることが出来ない自己の罪悪性でありました。
そして京都東山の吉水の法然聖人のもとをたずねられ、自らが救われていく唯一の道である南無阿弥陀仏(阿弥陀様の本願力)というまことの教えに出遇うことが出来たのです。しかしその後も決して順風満帆の人生を歩まれたわけではなく、念仏停止(ちょうじ)という不条理な弾圧に遇い流罪となりました(承元の法難)。しかし親鸞聖人はそれさえも、念仏の教えを広めるよきご縁であったと慶ばれたのでありました。
人生においての苦しみや悲しみは、実は自身のこころを耕し、その先にあるあらたな自己のめざめやまことのみ教えとの出遇いのための大切な肥料とは言えないでしょうか。苦しみや悲しみを否定せずに、むしろ積極的に受容することにより出遇えるまことの世界が確かにあるのです。親鸞聖人が値遇(ちぐう)(かけがえのない出遇い)し信順された、阿弥陀様のみこころ、他力のお念仏の教えがまさにそうであると私はあじわわせて頂いております。
諸行無常、虚仮不実の世(我が身)だからこそ、私たちを呼びかけ照らして下さっている阿弥陀様のお慈悲に少しでもはやく出遇わねばなりません。そのためには常日頃から折に触れ、お聴聞(仏法を聞く)をさせて頂くことが肝要です。それにより自己が開かれ、転ぜられていくことを説くのが浄土真宗の教えであると言えましょう。
人生の順・逆いずれの縁であってもすべてをいただき、そして自分のすべてを投出し唯ひたすらに聞かせて頂く。
そこにまことの自己、阿弥陀様のみ心との出遇いがあるのです。
それによりお念仏を慶ぶ身とさせて頂いたなら、煩悩に苛まれ、たとえ思い通りの人生を送ることができなかったとしても、一切を尊いご縁・めぐみとして受け取り、慶びへと転じていくことができるのではないでしょうか。
合 掌
~生死(しょうじ)を超えていくとは~
以前、「死んだら人間ごみになる」という本を著した元検事総長がいたそうです。
私はこの本の題名を聞いた時に大変残念で寂しい思いがして止みませんでした。それと同時に、例え社会的な地位や名声があったとしても真(まこと)のみ教えに出会うご縁がなければ、この様な寂しい悲しい考え方をしてしまうものだなと思ったものでした。
人間としてこの娑婆世界に生を受けて、何十年いや例え少しの短い間でも、懸命に生き抜いて来られた方が亡くなるとゴミになるという考え方はあまりにも寂しい悲しい考え方ではないでしょうか。
このような考え方は何もこの元検事総長に限った事ではなく現代人の多くが、持ち合わせているような考え方ではないでしょうか。「死んだら全て終わり、そこにあるのは単なるリン酸カルシウムでできているお骨だけで後は何もないでしょ」という様な類いのはなしをよく耳にすることがあります。
浄土真宗の僧侶ではありませんが、元北面の武士で「山家集」等の歌集を著した西行法師という方が、晩年に次の様な歌を残しているそうです。
「何ものの おはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」
この西行法師は、武士から出家し僧侶になった後、人生の四半世紀の多くを旅の中で過ごしたといういわゆる、漂泊の人生を送ったと聞きます。時には風雨に打たれ、真っ暗闇の中、たった一人で草を枕に野宿をする事も度々あったでしょう。そんな時、目には見えないが耳には聞こえないが、確かに私のすぐ傍で温かいお慈悲の眼差しで見守って下さっている尊い存在がいらっしゃる。
私がお願いしたわけでもないのに、何とも有難いことであろうという感謝の思いから思わず涙がこぼれ落ちた、そんな心境で詠まれた歌がこの歌だったのではないでしょうか?
無論、西行法師は何ものかが「ほとけさま」だと信知されていたのだと思います。しかし、私たち(衆生)に「目に見えない尊い世界」の存在を強調するがために、そして歌そのものをあじわい深くするために敢えて「何ものの…」と詠まれたのではないでしょうか。
さて、私事ですが大学時代の後輩で、今でもたまに行き来をするS氏という人物がいます。そのS氏から、3年前のお正月が過ぎた頃だったと思います、私のパソコンに彼からメールが送信されてきました。
大抵の事は電話で済ます彼なのに珍しいなと思いながらそのメールを開きました。するとそこには、彼のお母さんが亡くなったというお知らせの文がつづられていました。突然の事で私は驚き、S氏の心中を慮りました。しかし、そのメールを読み終えていくうちに、私は悲しい感情の中にも反対に生きる力をわけあたえられた、そんな気がしてまいりました。そのメールが以下のものです。
「1月3日の午後、母が浄土往生しました。雪だったのでお知らせを遠慮しました。
若い頃から肺に菌をもっていましたので、徐々に弱り、三年前からは入退院の闘病生活でした。何度も危篤状態をみんなで協力して乗り越えてきました。 ~中略~
今までにあまりにも多くの涙を流してきたので、臨終時は落ち着いて?受け止めることができました。でも泣いた。「やっと苦しみから解放されたね」って言いました。
お念仏の教えに逢えていたことが救いでした。今、お念仏すると母が宿っている感じです。気持ちが落ち着いたら、以前のように何も心配なく楽しめるようになるでしょう。」
如何でしょうか?「念仏の教えに遭えていた事が救いでした。今、お念仏すると母が宿っている感じです。」 日々お念仏の教えに生かされてきた、阿弥陀様のお慈悲を頂いて生きてきた彼故に、自然と口をついて出たこの一言だと思います。
「例え辛い別れであるけどもそれで終わりではないんだよ。お念仏を申させて頂く時にはいつもでもどこでもいっしょなんだ、お念仏一つで会える世界が確かにあるんだよ。」ということをあらためて私に教えて下さいました。尊いご縁を頂いた彼からのメールでした。
親鸞聖人がお説きになられた浄土真宗のみ教えは、亡くなるとそれっきりの世界ではありません。真実の教え(お念仏の教え)に生かされた人はこの娑婆世界での縁尽きても、阿弥陀様のご本願のはたらきにより、光り輝く真実の世界であるお浄土へと生まれさせて頂きます(これを往相回向という)。
そしてそれだけでなく、再び残された私達のもと (娑婆世界)へ「還相(げんそう)の菩薩様」として還ってきて下さり、いつでも何処でも私達を阿弥陀様と共に温かいお慈悲の眼差しで照らし、真実の教えへと導いていくという教えです(これを還相回向といい、前者とあわせて二種回向といいます)。亡くなった方は往ったら往ったきり、そんな寂しい世界ではないのです。
浄土真宗では「死にものの仏」になるのではなく、「生きて私達のためにはたらいて下さるほとけさま」になるという教えです。それが、親鸞聖人の真宗の命の捉え方、生死を越えた「無量寿(むりょうじゅ)」という命の捉え方です。
親鸞聖人が敬う七高僧のお一人の道綽禅師(どうしゃくぜんじ)という方が、『安楽集』という著書に
「前(さき)に生まれんものは後(のち)を導き、後に生まれんひとは、前(さき)を訪(とぶら)へ」
というお言葉を残されているように、先人が後に生まれてきた私たちを導いて下さったことに対して、私達は、先人が守り続けていった真実の教えを聞き、自分自身に問い訪ねていかねばならないのではないでしょうか?そうすればそこからきっと見えてくるはずです。本当の命の在り方というものが。多くのものに見守られ、支えられ、願われている命であるということが。自身がこうして生きていることがあたりまえだと思っていたことが、実はあたりまえではなかったのだということが。
そのことを本当に信知せしめられた時にこそ、浄土真宗の教えが私たちの人生において真の「生きる力」としてはたらいて下さるのではないでしょうか。それにより、如何なる苦難の人生になろうとも、決して何ものにも妨げられることのない力強い人生を歩んでいくことができるのではと、私は信じています。
合 掌
「念仏者は無碍(むげ)の一道なり。」 『歎異抄』第七条
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