福岡県北九州市にある浄土真宗本願寺派 法圓寺

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境内のご案内

法圓寺梵鐘 (福岡県指定有形文化財 工芸品第24号)

法圓寺に伝わる梵鐘は、明治10年(1877年)に、京都洛北の新長谷寺に伝わっていたものを当時の法圓寺門信徒中らが求め、当山法圓寺に寄進したという。
その際、原銘の大半を打滅してその上に寄進銘を追刻したため、
現在ではこの梵鐘から直接原銘の全文を判読することはできない。
しかし、東京国立博物館に残る江戸期の拓本によって、南北朝期(鎌倉時代と室町時代の間)の永徳元年(1381年・北朝年号)にこの梵鐘が鋳造され、さらに元々は、大分県国東半島の盛福寺の什物であったことが確認された。
現在この梵鐘は、鐘楼には吊り下げられておらず、
当山の庫裏玄関前に鎮座ましましている。

※現在、鐘楼に吊り下げられているのは、ご門徒の篤信者から寄進された新しい梵鐘である。

 

 

 

「森鴎外」揮毫の碑

当山境内地に、明治の文豪森鴎外が、法圓寺の代々のご門徒でありこの地の名士であった山家徳象氏の功績を称えた「山家先生之碑」が立っている。
明治41年(1908年)1月12日付の鴎外の日記にこのことが記述され、また昭和59年(1984年)には鴎外の二女で随筆家であった小堀杏奴(あんぬ)さんが当山を訪れて確認をされた。

法圓寺本堂内陣・下陣天井絵

当山本堂の内陣と下陣の天井に描かれている約170枚の天井画には、
当時(江戸後期~明治初期?)の一般民衆の日常生活や動植物、
故事に因んだことなどが、寄進された当時のご門徒の名とともにえがかれている。

伝承などによればこの天井画は、明治10年(1877年)に寺基を移転した際に
えがかれたのではないかと推測される。